中村守里さんと言えば、元ラストアイドル1期生です。
実は、小学校3年生の時に、父親を亡くすという、辛い過去があります。
芸能界に入ったのは、「子供でも働ける仕事」だったから。
望み通り、芸能界に入り、「ラストアイドル」というアイドルグループで活躍!
卒業後は、女優として、数々のドラマ、映画、舞台と幅広く出演。
2024年10月からは、NHK朝ドラに初出演。
そんな、中村守里さんについて、詳しくご紹介させていただきます。
最後までお読みいただきますと、幸いです。
中村守里は父を小学校3年生の時に亡くした!
中村さんのお父様は、中村が小学3年生の時に、くも膜下出血で突然亡くなりました。
あまりにも突然すぎて、中村さん達、家族全員は大きなショックを受けました
そりゃあ、そうですよね。
くも膜下出血って、本当に突然襲ってくる病気ですね。
激しい頭痛に襲われることが多いようですが、これは前兆ではありません。
すでにくも膜下出血が起こった症状です。
発症すれば、死亡率50%と、とっても恐ろしい病気です。
お父様ご本人も、中村さん達、ご家族も、まさかまさか、考えてもいなかったでしょう。
中村さんは、小学3年生でしたからね。
まだまだ、甘えたい年頃ですよね。
中村さんには、お兄様がお二人いらして、末っ子の一人娘さんなんですよね。
お父様も、中村さんの事は、本当に可愛くて仕方なかったんではないでしょうか。
中村さんの七五三の写真や新体操の発表会の写真など、どれも女の子の晴れの日の写真です。
写真を見るだけで、思いっきり可愛がっていたんだなという事がわかります。
女の子を持つ親の楽しみですね。
そんな親心に反してボーイッシュなスタイルを好み、女の子らしいスタイルを嫌がる子もいますが。
中村さんは、幼いころから、たくさんの習い事に通っていました。
ダンス、水泳、新体操、クラシックバレエ、ピアノ、習字、公文など、ほぼ毎日通っていました。
1日に3つ掛け持ちっていう日もあったというから、大人が顔負けするほどの、忙しい子供ですね。
子供も大変ですが、これだけの習い事っていうと、かなりのお月謝になりますよね。
しかも、お兄様が2人いるので、子供さんは3人ですね。
3人の子供を育てるって、本当にお金がかかります。
お月謝も、3倍。
ということは、中村さんのお父様は、かなりの高収入を得てらしたのでしょう。
中村守里は、父を亡くし、家族のために芸能界入り!
お父様が亡くなられた後も、中村さんは、ダンスと水泳と新体操は12歳まで続けていました。
クラシックバレエについては、15歳まで続けていました。
新体操では、小学6年生の時に、全国大会に出場するという実力でした。
お母様は、中村さんが、一生懸命頑張ってたことは、続けさせてあげたかったんでしょう。
どの親も、同じように考えると思いますが、現実は大変です。
お母様は、ご苦労なさりながらも、精いっぱい頑張られた事でしょう。
お二人のお兄様も、アルバイトをされ、お母様を助けてこられたようです。
中村さんも子供なりに、お母様やお兄様たちが忙しく働く姿を見て、自分にも何かできないかと考えました。
そして、自分も、何かしら家族を支える手助けをしたいと、強く思うようになりました。
そこで、子供でも活躍できる場を探した結果、選んだのが芸能界でした。
その時、中村さんは、まだ小学6年生。
当たり前だったら、家計を助けようなんて、考える歳ではありませんよね。
私は、そんなエピソードを知って、ただただ、偉いなあと感心しました。
中村守里、父の死を乗り越え、アイドルとしてデビュー!
2016年、中学1年生の時、中村さんはワタナベエンターテインメントの養成所に特待生として通い出しました。
決心からスタートが、とても早いですね。
中村さんの行動力に、お母様とお兄様達が、後押しして下さったんでしょう。
その夏休みに受けたオーディションで、中村さんは、50社以上の芸能事務所からスカウトされました。
すごくないですか?
幼いころから、習い事を頑張ってきた成果でしょうか?
生まれ持っての才能が、開花したのでしょうか?
いずれにしても、50社以上からのスカウトですから、誰が見ても、光り輝いていたんでしょうね。
お父様いらしたら、どんなに喜んでくれたことでしょう。
中村さんが選んだのは、太田プロダクション。
太田プロダクションには、元AKBの指原莉乃さんや大島優子さんなどのアイドルも多く所属。
ほかにも、高島玲子さんなどの女優さんも多く所属。
芸能事務所としては大手ですよね。
私が知る太田プロダクションは、かつてはお笑いタレント事務所だったんですが・・・
今や、芸能タレント、音楽家、スポーツ選手、文化人等幅広いジャンルの方々が所属されていますね。
演技レッスンなどの育成にも、結構力を入れてますね。
中村さんは、その太田プロダクションでレッスンを受けながら、舞台にも出演するようになりました。
そして、中村さんは、テレビ朝日の「ラストアイドル」の正式メンバーへの挑戦バトルに挑みました。
元々、アイドルに興味がなかったようですが、活動を広げるために参戦。
しかし、結果は敗戦。
でも、ラストアイドルファミリーの派生ユニットのメンバーとしてデビューすることになりました。
グループ名は「Love Cocchi(ラブコッチ)」
「アイドル・中村守里」の誕生です。
アイドルには向かないと思っていましたが、「守里隊」というファンの総称も生まれました。
中村守里、父の死を乗り越え、女優としてデビュー!
中村さんは、2017年、14歳の時、舞台「清らかな水のように~私たちの1945~」で女優デビュー。
レッスンで自信をつけていたつもりでも、いざとなるとセリフはカミカミだったみたいです。
舞台というと、お客さんがいる目の前で演じる一発勝負ですからね。
レッスンと同じように、演じるなんて、難しいですよね。
しかも、14歳。
わが子なら、私は、心配で心配で、じっと見ることもできないと思います。
その後、アイドルとして活躍しながら、女優としても活躍。
中村さんは、2018年、映画「書くが、まま」に主演でデビュー。
映画の祭典「MOOSIC LAB 2018」で、なんと最優秀女優賞を受賞しました。
中村さんは、まだ、15歳。
最年少の受賞だったようです。
カミカミの初出演舞台から、たった1年での受賞は、すごいですよね。
成長が早いというか、実力があったのでしょう。
2020年、中村さんは、ラストアイドルを卒業し、その後は女優業に専念。
「どんな選択をしても大変だろうとは分かっていますが、後悔しない選択をしました。
引用:https://t.co/NyApbSMSjc
大きな決心だったんですね。
その後は、数多くの、テレビドラマ、映画、舞台に出演。
2014年、NHK朝ドラ初出演が決定。
大躍進ですね。
きっと、並々ならぬ努力をされたんでしょうね。
何しろ、中村さんには、他の娘と違って、家計を助けるという目的もありましたからね。
意気込みが違ったんじゃないでしょうか。
中村守里、父を亡くしてから朝ドラ出演まで、まとめ
中村さんは、小学3年生で、お父様を亡くされました。
お母様が、一生懸命働く姿を見て、中村さんは、芸能界に入ることを決心。
働いてお母さんを助けたいと考えたからでした。
その決心通り、中学生で女優デビュー。
その後、ラストアイドル1期生としてアイドルデビュー。
大活躍しながらも、3年後、女優に専念するために、ラストアイドルを卒業。
女優としての実力を認められ、朝ドラにも出演。
ますます、飛躍を続ける中村さん。
今はまだ、脇役女優としての役柄ですが、彼女の頑張りは、きっと大きな成果となるのではないでしょうか。
名脇役と呼ばれるようになってくれると、私としては、大変うれしく思います。
もしくは、主演になってくれると、応援の甲斐があります。
そんな期待を込めて、これからも、中村さんの活躍を、ずっとずっと、応援し続けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント